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2019.03.22news

The Tokyo INJ St. Patrick’s Day Parade is the biggest Irish celebration in Asia and has been on the go since 1992. This year over 50,000 people lined the illustrious Omotesando avenue in downtown Tokyo to witness another spectacle of Irish culture & pomp. Here’s just some of the media coverage that followed the event. We’re already planning for next year so if you or your company want to be involved please do contact the INJ to explore possibilities!

Irish Eyes Are Smiling in Japan– Japan Today, March 2019
Making Tokyo Greener– Japan Times- Mar. 18th, 2019
130,000 Attend Irish Parade in Tokyo– Irish Central- Mar. 18th 2019

2018.12.25article


2016年から2018年まで会長を務めたデクラン・サマーズは、2019年3月9日、Japan Timesのインタビューを受けました。2019年以降は、会長の仕事を、Emmett Bowenへと引き継ぎました。デクランは現在、東アフリカのマラウイの子供たちに対して給食支援を展開する日本のNGOであるせいぼじゃぱんで働いています。マラウイとアイルランドは深い関係があり、マラウイ人は、アイルランドの宣教師との長い歴史があり、彼らにとって唯一のビザなしで入国できる国は、アイルランドなのです。内容については、こちらをご覧ください。

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2017.03.26article

2006年にロンドンでセント・パトリックス・デーを観た Taku さんの写真です。ロンドンでアイルランドのパレードとは、イギリスも懐が深い。

2006年にロンドンでセント・パトリックス・デーを観た Taku さんの写真です。ロンドンでアイルランドのパレードとは、イギリスも懐が深い。

セント・パトリックス・デー in ロンドン

[by Taku, 2007年3月]

パレードは12時から。
11時半頃に Piccadilly Circus を降りると、緑のグッズをつけた人がちらほら。パレード開始地点の Park Lane 方向に向かいます。

Viewing Hot-Spot に指定されている Green Park 駅辺り。いい位置をとった女の子。ばっちりセント・パトリックス・デー・コスチュームで決めています。12時をとっくに過ぎてもなかなかはじまらない。

12時20分頃。ようやくはじまりました。静かなスタートですが、後方よりにぎやかな音楽が聞こえて来ます。 Green Park 駅辺りは混雑もそれほどでなく、ゆっくりと見物することができます。いよいよ聖パトリックの登場です。

アイリッシュ・ダンスのグループの登場です。競技会用の衣装が素敵です。ロンドンのパレードには、たくさんの音楽やダンスのグループが参加していました。

ニューヨークとは異なり、ロンドンのパレードでは山車が登場します。落っこちないようにしっかり柵がつけられています。山車の上ではアイリッシュ・ダンスやアイルランド音楽の生演奏など実に賑やか。アンプ搭載で大音量の山車も。見ていて飽きることはありません。

トラファルガー (Trafalgar) 広場前。
このあたりは見物の人たちでいっぱい。Trafalgar Square を少し下った Whitehall 辺りでパレードは終了。お疲れさまでした。

パレード終了後は、トラファルガー広場でコンサート。グリーン、オレンジ、白の大量の風船が一斉に空に放たれ、コンサートがはじまりました。この日はアルタンも登場しました。

入り口も出口も警備は厳重でした。もちろんビールは会場から持ち出し禁止です。会場内はOK。


たくさんの人、人、人。

London St Patrick's Festival https://www.london.gov.uk/events/2017-03-17/london-st-patricks-festival

INJ Link INJ – セイント・パトリックス・デイ – 人物、パレード、歴史
INJ Link INJ – みんながグリーンになる日

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2017.03.24article

ダブリンのフェスティバルの舞台裏を少し教えていただきました。今度は皆さんがダブリンでボランティアになって参加してみてはいかがでしょう。

 


ダブリンのフェスティバルの舞台裏を少し教えていただきました。今度は皆さんがダブリンでボランティアになって参加してみてはいかがでしょう。


[ 2009年1月 ]

アイルランドのダブリンではセント・パトリックス・デイの祭典は5日間つづき、セント・パトリックス・フェスティバル (St. Patrick's Festival) と名付けられています。2008年の終わりに、このダブリンの セント・パトリックス・フェスティバルの CEO、ドナル・シールズ (Donal Shiels) 氏が来日しました。日本でセント・パトリックス・デイ・パレードを主催している各地のスタッフが集まり意見交換をしました。その時のシールズ氏のお話をご紹介します。
 

* * *

Festivalフェスティバル委員会は1995年に設立されました。1920年代から始まったそれまでのセント・パトリックス・デイ・パレードはダブリン市の観光局が独自に行ってきました。しかし、観光局では年間の様々な業務の1つとしてパレードを行っていたので、このイベントの発展には限界がありました。そこでアイルランド政府の観光大臣の主導のもと、3月17日の セント・パトリックス・デイのイベントを専門に運営する組織が出来、私たちの仕事がスタートしました。イベントは年々大きくなり、今ではアイルランドで最大のフェスティバルになりました。セント・パトリックス・フェスティバルは5日間に渡り、18の様々なイベントに55のパフォーマンスが行われます。プログラムは伝統芸能やストリート・アート、音楽や映画、コメディーショーなど多岐にわたります。フェスティバルの最後を飾るのはパレードです。ダブリンは100万人の人であふれ、テレビではその様子が放送され、世界の5千万人が見ます。

leafletフェスティバルの準備は一年間を通して行われます。 5人のプログラム・ディレクターがパレードのアートやプログラム、マーケティングやファイナンスなどを分担します。まず4月から9月は次のフェスティバルのための新しい企画を練ります。テーマを考え、 音楽、歌、スポーツなど、毎年新しい試みをし、お客さんが毎回違ったものを楽しんでもらえるように工夫をします。10月から12月の期間は出来上がった企画についてスポンサーや交通機関、警察、店や劇場などの地元ビジネスといった、関係各所と打ち合わせをします。1月になると決まった計画に沿って具体的にフェスティバルを作り上げて行きます。2月中旬からはPR活動です。新聞、雑誌、テレビから様々なメディアを使ってフェスティバルを広く多くの人に知ってもらえるよう工夫をします。「 Greening the City (町を緑に) 」というテーマの時は、ダブリンのランドマークのハーペニーブリッジに芝を敷き詰めたりもしました。

Mr. Shields3月中旬、フェスティバルが始まります。この大きなフェスティバルも委員会スタッフだけでは実現できません。この時に合わせて参加して頂く200人から300人のボランティアの協力は大変重要です。地元のボランティアには大学や語学学校の生徒がいます。2008年は観光客も120人ほど参加してもらいました。ボランティアはウェブサイトから受け付けていて、多くの人達がフェスティバルに応募していただけます。コーディネーターがリーダーとなって、2週間前から打ち合わせなどをして準備をしてゆきます。

フェスティバルのハイライト、パレードの作業は、前日からルートにフェンスを設置することなどから始まりります。そして当日、様々な衣装や山車を作って来るパレード参加者は4,000人ほどになりますが、17日当日の朝6時から集まって支度を始めます。雨が降ることもありますが、アイルランドではあまり土砂降りになることはないですし、そのままパレードは行われます。

2008年、お客さんに楽しんでもらえるように考えたパレードは大いに盛り上がりました。この年はダブリンだけではなく、ロック・オブ・カシェルで花火と光のショーも行いました。地元の人達も自分たちの町でイベントが行われ、それが紹介されることを喜んでもらいました。各イベントは多くの文化やアイデアを取り入れた、開かれたフェスティバルで、まさにアイルランドを象徴するように、みんなで歌ったり、踊ったり、様々な国の人達に楽しんでもらえます。

最後のイベントのパレードが行われた後は、ボランティアとスタッフで打ち上げパーティーを行い、その年のフェスティバル運営は終了します。そして、また来年への準備が始まるのです。

Parade

(ダブリンのパレードの様子はこちらへ :
INJ Link ダブリンのセント・パトリックス・デー・パレード)


St. Patrick's Festival : www.stpatricksday.ie
アイルランド政府観光庁 : www.ireland.com/ja-jp
Cashel – Tipperary, Ireland : www.cashel.ie

INJ Link セイント・パトリックス・デイ – 人物、パレード、歴史
INJ Link セント・パトリックス・デー in ロンドン
INJ Link みんながグリーンになる日

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2017.03.22article

一度は見てみたい、本家アイルランド、ダブリンのセント・パトリックス・デー・パレード。これでパレードを訪れる際の準備完了。

前回のフェスティバルの舞台裏に続き、今度は一度は見てみたい、本家アイルランド、ダブリンのセント・パトリックス・デー・パレード。これでパレードを訪れる際の準備完了。


アイルランドではセント・パトリックス・デーはクリスマスに次いで大きな行事です。日本のラジオを聞いていると、アイルランドのセント・パトリックス・デーのことを紹介していましたが、そこでは「パレードはニューヨークで始まりました。アイルランドのパレードは1996年に始まってすっかり定着しました・・・」と言っていました。ニューヨークはいいですが、アイルランドのパレードは1920年代より行われています。恐らくダブリンのフェスティバルのウェブサイトを見て言っていたのでしょう。1996年に始まったのは政府主導のパレードです。パレードはダブリン市によって以前から行われていましたが、1995年になってからは政府主導で企画、運営されるようになりました。1996年に新生パレードが始まり、1997年からは名前をBanner「セント・パトリックス・フェスティバル ( St. Patrick's Festival )」に変えて、1日だけではなく、3日間のイベントになりました。このフェスティバルは国内外の多くの人を魅了し、今では5日間に渡る祭典になりました。この期間はコンサートや映画、アイルランド語ワークショップやアート・エキシビションなど様々なイベントがダブリンの街中で行われます。そして、最後のハイライトがパレードになります。

  1993
1993年のダブリンのパレードの様子  

以前はアイルランド人自身よりも外国人、特にアメリカ人の観客やパレード参加者が多かったような印象でした。祖先の故郷、アイルランドに戻って錦を飾るという意味合いが強かったのでしょうか。メインステージの参加者紹介でも、「ニューヨーク州 xx バンドの皆さんです!」というように、アメリカからの参加者が多くパレードしていました。現在はずいぶんと派手になり、サンバあり、ヨーロッパの民族衣装的なものありといったインターナショナルな様相です。

 

アイルランドでは3月17日の聖パトリックの命日、セント・パトリックス・デーは祝日です。アイリッシュの間では通称、パディーズ・デー。教会に行く人もいれば、クロークパークに恒例のゲーリックフットボールとハーリングのクラブ・チャンピオンシップ・ファイナルの試合を見に行く人もいます。ダブリンの若者はパレードに対しては結構冷めていました。日本でも若者が伝統行事に無関心なのと同じように、「あれは子供が見に行くもんだ」といった感じです。でもフェスティバルとなった最近の盛り上がりはそんな雰囲気も変えました。また、この日はダブリンのパブが普段よりも遅くまで開いています。普段は午後11時には閉まっている地元のパブが、夜1時でも開いていたりします。

  Gogarty's
町中がセントパトリックスデイ一色です。
City Hall
グリーンのライトアップ
McDonalds
あのファーストフード店もアイルランド色

キリスト教にレント ( Lent ) というイースターまで節制をする習慣があります。よくレントの期間はお酒を飲まないという人にアイルランドで会ったりしますが、セント・パトリックス・デーはそのレントの真ん中にあります。人によってはセント・パトリックス・デーはその節制を一時的に解いて、パブに行って喉を潤すという事もあるようです。中には箍が外れたようになっている人もいますが(笑)。

パレードのルートはダブリン、シティー・センター北のパーネルスクエアから、メインのオコンネル・ストリートを通ります。さらにトリニティーカレッジの前を曲がり、デイム・ストリートを進んで、クライスト・チャーチ大聖堂の前を曲がり、聖パトリック大聖堂までとつづきます。約4000人の参加者が練歩き、ダブリンは100万人の人出で溢れます。このパレードの時期、ダブリンの中心地のホテルは2、3ヶ月前からでも予約が取れるか分からない状態になります。

  O'Connell st
パレード開始2時間前のオコンネル・ストリート

   O'Connell st
   だんだん人が集まってきます。

パレード当日は少しでも良いところで見ようと観客が早くからルートに陣取りを始めます。GPO (中央郵便局) の横には来賓席も作られてメインステージとなります。

  O'Connell st.
パレード開始寸前。考えられる観覧スポットは全て人で埋まっています。観客も準備完了。
  O'Connell st

町中のお土産店ではシャムロックのハットなど、パディーズ・デー・グッズが並んでいるので、それらを身に付ければ、その日は皆がアイリッシュに。そしていよいよ、フェスティバルのハイライトの、パレードが始まります。

# St. Patrick's Day Parade
  St. Patrick's Day Parade

17日お昼の12時にパレード開始です。グランドマーシャルがパレードをリードし、今風のセント・パトリックもいます。ガーダ(警察)の騎馬隊やアイルランド防衛軍の行進、そして消防隊のパイプ&ドラムバンドなどが続きます。

  Parade
米アイオワ州からのバンド    
  Parade
  Parade   Parade
工夫を凝らした衣装が続きます。
  Parade
巨大なオブジェは圧巻
  Parade
 
  Parade
かわいい帆船の船団
  Parade
 優雅な波?のダンス
  Parade
ハイクロスと Nun ? のバンド
  Parade
  Parade  

パレードは様々な工夫を凝らした山車や衣装、巨大バルーンなどの参加者が次々と出てきます。ルートはミュージックと歓声で賑やか。テレビ中継も行われ、レポーターが観客にインタビューしています。観客の中にはアメリカはもちろん、ヨーロッパの国々から来た人もいます。国際色豊かな雰囲気の中、パレードは町中を約2時間、大いに盛り上げます。

 

  Temple Bar
テンプルバーの様子

パレードが終わってもお祭りはつづきます。無数にある町中のパブもこの日ばかりはフル回転。シティーセンターでは観光客とダブリナーと一緒に、パイントを片手にこの日はみんながアイリッシュ。

パブやクラブが集まるテンプルバー・エリアでは、通りが人で溢れ、日本の正月の初詣のような状態に。でも、あちこちに "レプリコーン (Leprechaun)" が歩いていて、紛れもなくアイルランド。

retire  
力尽きて途中リタイアする人も。  

 

町中のあちこちで歌が自然に始まって、お祭りの楽しい雰囲気の中ダブリンの夜は更けて行きます。

この春を訪れを祝うお祭りは毎年工夫を凝らした新しい出し物で楽しませてくれます。アイルランドを楽しむならぜひ一度セント・パトリックス・フェスティバルを体験しなければ!Brochure

[ 2009年3月 Kaori & Taro]

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2012.12.17article

History of the INJ from 1987, compiled with input of all former Chairpersons and many key members

The Irish Network Japan was set up in Tokyo in July 1987, with the first AGM in November. Its aim was to provide a centre of communication, activity and exchange for Irish people living in Japan and to foster relations between the Irish in Japan and all those with an interest in Ireland. In the early years the annually elected committees created an energetic calendar of events (as much as six per month in its heyday) and was responsible for creating the first Irish Annual Ball, Sports Day and the St. Patrick's Day Parades in Japan. The central committee moved from being all Irish people in Kanto, to predominantly Japanese in Kanto, to now where it is a Japan wide committee balanced between Irish and Japanese representatives from the regional committees.

 

  • INJ stories from the past here (Founding of, feedback newsletter, Sports Day, Ball, Charlie Haughey, Kyushu, Parade Queen)
  • Parade history here (Details of Parade Growth and more on Tokyo Parade)
  • INJ booklets here (1993 Survival Guide, 1990 Green Frontier (Japanese), GAA rules (Japanese) )
  • Further links are below

Contents

1.Landmark Events and happenings
2.Organization structure
3.Further links
 

1.Landmark Events

text to complement above table;

 

1987-1992: Apart form doing more and more events (including regular Business Lunches, introduction of the INJ Ball and Sports Days) the 'Network' starts producing information booklets for Irish in Japan ; 'An Irishman's Guide to Survival in Japan' ,  GAA explanations in Japanese and a Members Directory detailing, the Job, Phone number and both Japanese and 'Permanent' Irish addresses of each member. There was also of course the newsletter, 'Feedback'..
In the early 90s the Idea of Parade came up, eventually going ahead on what ended up being a Pioneering walk around Roppongi with a Piper and some speeches. After considering another site in Ginza, the big move was made to Omotesando in 1993. That is now the permanent home of the Tokyo Parade, and the imagination has inspired the start up of 13 other Parade locations in Japan. Some former members have since moved to other parts of Asia and helped start other Parades there, notably Singapore and Seoul.
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1992-1995: In terms of Events this is the busiest era of the Tokyo based INJ, with regular Business Dinners / Lunches, Ski Trips, Fuji Climbs, Christmas Parties, St. Patrick's Day events, the INJ Ball, Sports Day. All of this was communicated through the INJ Newsletter 'Feedback', which ran until 1997. At the time INJ had an Office which acted as a nerve center for everything. The Office moved around a few places ending up finally by The Black Lion Pub in Meguro, at the end of the 90s an Office was no longer used.
At this time there was a large amount of Irish coming into Japan and was just before widespread Internet and Irish Pubs, so of course the Irish in Japan were very interested in community. Around this time members paid a fee of about 7000yen to be involved with the INJ. The Fee was phased out from 1997.
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1995-1998: . Since there was now some Irish Pubs in Tokyo like Paddy Foleys, there wasn't such as much a need for the INJ to organize parties. Email mailing lists reduced the need for a newsletter, and obviously information was a lot more accessible. So the membership fee was abolished from 1997 and income is, and still is, collected from Events and Sponsors. INJ committee members put a lot of focus on The Celtic Festival, which ended up too hard an effort in 1998. Hibernian Players were still quite active, a stage was even built in the Black Lion Meguro for their performances. 
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2003-2010 : INJ begins to sprout up again committees outside of Tokyo and become a true All Japan organization. After a period of focusing mainly on the St. Patrick's Day Weekend (Parade & Sports Day), INJ begins increasing its events again throughout the Calendar year (Christmas Party, Festival Booths, day trips etc.)
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2011: With further expansions INJ is decentralized and Head committee is changed from Tokyo to an All Japan committee. INJ goes backs to its roots and sets up a committee designed especially for Emigrant Support.
 

2. Organization structure

 

3. Further Links

307 years of Irish History in Japan here 
Press clippings 1993 to 94 here
INJ history facebook page here (Thanks to Neil Day)
more to follow…..

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2012.12.14article

Founding, Feedback, INJ Ball, Sportsday, Hibernian Players, Kyushu, Charloer Haughey in Japan

Thanks to various co-founders and former Chairpersons for providing information for this. Also linked here is an Article by Kenji Hall about the making of the Parade Queen competition.
General Parade History here

Below includes; Feedback, INJ Ball, Sportsdays, Hibernian Players and Charlie Haughey in Japan

Founding of the INJ

The initial idea of the INJ was said to have been discussed after some get together of FAS Graduate Programme members in the Rising Sun pub (Members included Michael Garvey, Liam English, Tim Carew, Dave Thomas, Sile Ni Fhearraigh, Padraic Delaney, Greg Timmons, Dr. Paul Phelan, Jim Cashman), people saying that it was a good idea but we had to ensure it was not just a FAS initiative and that it included all of the Irish in Japan, and all of that leading to the meeting in the IDA ground floor offices in the TBR building which kicked it off. The meeting in the TBR building was set up and initiated by Mick. Both himself and Liam were IDA employees.

The first AGM was held in November, and so INJ as a structured organization started then. Padraic was elected Chairperson, and Tony O'Connor as Secretary. Another key member of the early days were Declan Collins, also with the IDA, who arrived after the initial launch and brought his experience of the Irish Network North California (started in 1986) . Some other early meeting were in Sophia University, thanks to great support from Fr. Donal Doyle, winner of the first INJ Personality of the Year Award. Must be noted that one of the biggest contributors to Irish society in Japan, Neil Day, had just arrived in Japan and attended the first AGM too.
Feedback
The INJ newsletter was started by Padraic Delaney and Tony O'Connor towards the end of 1987. The 2 both worked as graduates in Obun Printing and had access to publish the magazine. At its peak Feedback was being delivered once a month with 16 pages of info that kept the community up to date with not just INJ events, but all Irish related goings on in Japan. After 10 years the Internet killed off the need for the newsletter; mailing lists and websites took over.

Some covers of feedback here.
Charles Haughey visits in 1989

1989 April : Taoiseach of Ireland, Charles J. Haughey's visits Japan.
With the Irish community being so small and very few community activities and organisations, the visit by the Taoiseach Charles J. Haughey to Japan in April 1989 was a major event for the Irish with added significance for those involved in representing Irish culture and business in Japan. 'Charlie' was greeted like a pop star then and was a great boost to the morale of the Irish living in Japan in spite of domestic political strife at home. The Taoiseach's visit preceded the 'Celtic Tiger' boom that was later to develop in the early 1990s. At that time the Irish government was struggling with unemployment rates close to 20% and inflation well above 15%. In any case, the visit by 'Charlie' brought a huge number of Irish people together who were living in Japan at the time including members of the Irish Network Japan.
INJ Annual Ball
The INJ was the first to bring the the concept of the 'Irish Annual Ball' to Japan with the first INJ Ball held in 1988 at the Tokyo American Club, near Roppongi. The first event was principally organised by Philip Greenan, Padraic Delaney, his wife Gwen and Sile Ni Fhearraigh and being the first they were very courageous to go ahead and take on this challenge. It was a scary undertaking as it was such a pioneering action with no one really knowing if people would attend or if costs would be covered. Happily it was very successful. Celebrating Irish culture with friends in our host country Japan, one of the features was the 'Irish Personality of the Year' awards. The INJ Ball usually held towards the end of the year has since given way to the now successful Emerald Ball, usually held the night before the Tokyo Parade. 
INJ Sports Days

1990s : Back in the early 90's, the Goannas Australian Football team and team Ireland played quite a few games of compromise rules football (mixture of Irish and Aussie footie) culminating in the launch of the annual Ned Kelly cup around 1992. The Ned Kelly cup is now a feature event of the current Sports Day held every year in Yokohama. The first Ned Kelly cup final was held at an American military base with the Irish winning.
INJ's 1992 St. Patrick's Day sports day was held at Ueno-Gakuen university grounds in Saitama, working with the now defunct Tokyo Irish Harriers Club who in fact were responsible for creating the first edition of the St. Patrick's Day Sports Day around 1990. The INJ was able to strengthen the games and to feature Irish football and hurling contests. In 1992 the games included the feature event of hurling with the sliotar thrown in by the then Ambassador James Sharkey, mixed Irish football, penalty shoot-out, tug-of-war, three-legged race, sack race and of course plenty of Irish food and drink.
The 1993 Sports Day was again another level up in terms of organization, it was held then in Kanto-Gakuin.
Nowadays the Sports Day is run by Japan GAA.
The first hurling match in Japan – the Munekata Cup – sponsored by Barry Tea, with the provision of Team Strips.
Some photos avaialble here
Kyushu Irish Network
From co-founder Keiran Marsden – The Kysuhu Irish Network, although being modelled somewhat on the Irish Network in Tokyo, was completely independent. We used to send each other information about events in our respective regions and include these in our monthly newsletter. Also then INJ chairperson Michael Chin made a trip to Saga for our inaugural meeting which for us was a great show of support. We received a lot of support from the embassy and various Irish businesses with activity in Japan at the time.

We founded the network in 1994 and it remained active in some form until at least 2001. Founding members were Keiran Marsden and Koichi Araki, owner of the first Irish pub in Kyushu. We ran several events including hosting a reception for the Irish team participating in the Universiade in Fukuoka in 1995. (Universiade is an Olympics like event for universities). We also coordinated getting Irish supporters to attend the various competitions.  
In 1996 we co-hosted a visit by the Irish Ambassador, Declan O'Donovan. The visit included meeting local politicians, a visit to the company who employed several FAS placements (of which I was one), a visit with Imaizumi Imaemon XIII who is a Living National Treasure in Arita and other social events with members.
Our primary focus was connecting members throughout Kyushu by organizing mostly cultural events in different area's and meeting up with other Irish and friends of Irish. A key point was promoting Ireland to the local populations.
After I left Japan it continued for some time and the name was changed to Kyushu Celtic Network to expand membership and scope to our Celtic brethren. 
www.geocities.ws/qicn2000/index-2.html
 

Hibernian Players
The Players did many shows to great acclaim, article about the first play Sive is here and below is an article from Feedback after doing the Roddy Doyle play Brownbread;

Brownbread – A Casts-Eyes view
by Michael Chinn
It is hard to describe the elation felt by every member of the cast and crew of Brownbread at the end of our last performance, following a one week run at the Tokyo British Club and in Hamamatsucho. It wasn't joy at reaching the end of what had been a mammoth undertaking for all involved, but rather the sheer enjoyment of having brought laughter to so many people who had been our audience.
I believe few of us realised just what we were letting ourselves in for when Martin Reilly sent out the clarion call for actors and crew in early April Some (myself included) had no intention of acting at all – I just wanted to help with the lights – but somehow eleven budding thespians were fated to pick up Roddy Doyle's scrip and take to the stage. The fame, fortune and glory of performing to our adoring public awaited us, and only three things stood in the way: rehearsals, rehearsals and rehearsals.
It is an unfortunate fact of the famed 'actor's life' that the average performer doesn't get it right first time, or even second, third or tenth time! Rather, behind every show there is a lifetime of practice – ad nauseam – accompanied by the stress which comes of forcing the brain to endure endless repetition of words and actions. Innocent conversations would start to sound like passages from the play, with cast members subconsciously switching into character to add humour to their words. However, despite the mental trauma, we pulled through and (we hope) brought Brownbread to life on stage. Of course, while the cast were busy bonding and coming to terms with their psyches, the many people who made up the crew were busy set designing and coming to terms with the need for Barry's teabags and cans of Harp.   However, no stone (or mammy's cupboard in Ireland) was left unturned in the search for props, costumes, music and all the other paraphernalia of the stage. As the weeks progressed towards July, the bedroom of a Barrytown house started to take shape, the dull Dublin sky outside grew ever more melancholy and the sounds of US Marine helicopters overhead all the more like Vietnam. The cast also started to look the part, as everything from Marine uniforms to a bishop's cassock appeared as if by magic from some undisclosed source, and the male actors were let into the magic secrets of make-up.
As is always the way, the performance dates hurtled towards us faster than a speeding Shinkansen and soon we found ourselves waiting in the wings for the opening music…Well the rest, as they say, is history. This just about brings us back to where this story started – at the end – and should give you some idea of how Brownbread was dragged kicking-and-screaming into the glow of the spotlights for certainly one of the most enjoyable, thrilling and fulfilling weeks of my life, and that of everyone else involved as well. The cast truly relished the whole experience (well, most of it at any rate) and we hope that the audience enjoyed our performances. However, there was of course much more to Brownbread than met the eye Behind the scenes, lurked the army of supporters, helpers, doers and advisors who really got the show on the road. Although this is an inadequate opportunity to say thank you to all those who helped out with Brownbread (they number several dozen people), the cast would like to thank everyone who put up with our whining over the past few months, and who allowed us to concentrate on the acting, while others looked after the difficult stuff. Especially, thanks to Martin Reilly, the producer, who made things happen, and to Adrienne Reilly, who made us make things happen. Thanks also to Tim Harris, who is to blame for casting us in the first place, to the INJ committee for all their time, and to the Tokyo British Club for their support during rehearsals. Finally, thanks to you, the people who came to see us do Brownbread.
 

 

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